SmartHRのCFO視点で振り返る、グループ会社「Nstock」の創業から独立まで。
株式会社SmartHR 取締役CFO / 森 雄志
Nstock株式会社 代表取締役CEO / 宮田 昇始

2025年5月13日、NstockがSmartHRグループからの独立を発表しました。
SmartHRが保有するNstock株のセカンダリー取引による売却と、Nstockによる新株発行を組み合わせて実施されたこの一連の取引では、合計で約18億円もの金額がNstock株に投じられました。
今回の記事では、SmartHRのCFO 森 雄志さんに、SmartHRの創業者でもあるNstock宮田昇始がインタビューを実施しました。
森 雄志(もり・ゆうじ) SmartHR 取締役CFO
2016年に楽天株式会社(現楽天グループ株式会社)へ入社。IR部に所属し、国内外の投資家面談や決算関連業務、株主総会対応、M&A、資金調達など、IRを中心に幅広いコーポレートアクション業務に携わる。2020年3月に株式会社SmartHRに入社。海外投資家対応をはじめ、資金調達や資本政策などの財務戦略の策定を担当している。
宮田 昇始(みやた・しょうじ) Nstock 代表取締役CEO
2013年に友人と起業。2年間で10回以上の失敗を経て、2015年に人事労務クラウド「SmartHR」を公開。2021年には海外投資家などから156億円を調達しユニコーン企業に。2022年にSmartHRの代表を交代し、自身が感じたスタートアップエコシステムの課題を解決するための新会社「Nstock株式会社」を設立。2025年にはSmartHRの取締役を退任し、Nstockに専念することを発表。
森さんが貸してくれた本がNstockのアイデアにつながった
宮田 昇始(以下、宮田):森さん、ぼくに『フラッシュ・ボーイズ 10億分の1秒の男たち』を勧めてくれたの覚えています?
森 雄志(以下、森):なつかしいですね(笑)。『マネー・ボール』や『マネー・ショート』で有名なマイケル・ルイス氏のノンフィクション作品ですね。

宮田:それです。2010年ごろにアメリカの金融界で問題になっていた「フラッシュ・ボーイズ(10億分の1秒の差で先回りしていく超高速取引業者)」と、それに対抗して新しい証券取引所を立ち上げた主人公の姿を描いた本でした。
これを読んだときに「あ、証券取引所って本当に作れるんだ……!」と思ったのが、Nstock事業全体のアイデアにつながる第一歩だったと思います。
森:たしか2021年のある日、宮田さんが冗談なのか本気なのかわからないテンションで「証券取引所を作りたい」と言い出して、ぼくは「SmartHR事業とシナジーがないのでダメです」と言って聞き流してはいたんですが、この話の流れでこの本をオススメしたような気がします。
宮田:あれから4年経って、本日時点ではまだ事業開始できるかはわからないんですが、SmartHR事業とはシナジーがない「非上場スタートアップ株式のセカンダリー取引所」を、いま実際に準備しています。今回の独立も、あの日の話の延長線みたいで面白いなと思っています。
森:ほんとですね(笑)。
Nstock誕生の背景と、初期の期待
宮田:さて、今日の記事は、NstockのSmartHRグループからの独立についてです。
親会社であるSmartHRのCFOとして、グループ会社Nstockの創業から独立まで伴走してくれた森さんの視点から、一連の話を語ってほしいと思います。

森:わかりました。まずは創業からですね。
Nstockは、2022年1月にSmartHRの100%子会社としてスタートしました。宮田さんの強みはゼロから事業を作ることで、その強みを生かす形での設立です。
Nstockとしての1つ目の事業「株式報酬SaaS事業」は、SmartHRと同じSaaS事業ですし、人事担当者がストックオプション担当者も兼務していることも多いことから、営業やプロダクトにおいてシナジーがあるという判断をしていました。
宮田:ぼくも、株式報酬SaaSは、広義のHR SaaSと捉えていました。
実際、SmartHR事業を開始したばかりの2016年、お客様のオフィスを訪問した際に「SmartHRの機能として、ストックオプションの管理機能を開発してもらえないか?」と熱弁されたことがありました。当時の導入企業としては、かなり企業規模が大きいお客様だったこともあり、9年経ったいまでもこの要望は覚えています。
森:Nstock創業時から、セカンダリー事業なども将来の事業構想には含まれていましたが、当時は「セカンダリー事業等の金融事業への参入は、法改正などが必要なこともあり10年くらい先の話」という理解でした。
なので、NstockはSaaS事業を主とするグループ会社として、当面の運転資金もSmartHRからの貸付という形で提供していました。

宮田:ちなみに、「資本関係のない別会社を作ってそこにSmartHRから出資する」という形ではなく、「SmartHRの100%子会社としてのスタート」は、どんな背景でしたっけ?
森:2022年1月に宮田さんがSmartHRの代表取締役CEOを退任する際には、株主含めたステークホルダーから「創業から会社を引っ張ってきた宮田さんが経営から離れて大丈夫なのか」という心配の声がありました。
SmartHRの代表は変わるものの、宮田さんは引き続き取締役として経営に関与しつつ、100%子会社でシナジーの見込める新規事業を行うのは、個人的にもとても良い折衷案だと思い、グループ会社での事業開始という形をとりました。
宮田:す、すみません(苦笑)。
ただ、当時のぼくの気持ちとしてもSmartHRに迷惑はかけたくなかったですし、完全に離れるのはさみしい気持ちも強かったので、100%子会社としてSmartHRグループでのスタートは気持ちがよかったです。
マクロ環境と事業方針の変化で、投資判断が難しく
宮田:さて、2022年にNstockが設立され、その翌年には、森さんはSmartHRのCFOに就任し、Nstockにも社外取締役としても関与するようになります。
ここからは100%子会社として設立されたNstockが、独立する方針に変わっていった話をしたいと思っています。
森:まずは、Nstock事業を取り巻く環境の変化ですね。2022年12月に閣議決定された「スタートアップ育成5か年計画」をきっかけに、Nstockの事業にも関係が深い法改正や規制緩和が一気に進みました。
具体的には、税制適格ストックオプションに関わる税制や、非上場スタートアップ株式のセカンダリー取引、エンジェル税制などですね。
このような外部環境の変化を機に、Nstockとしては株式報酬SaaSだけでなくセカンダリー事業の準備を開始すると発表し、金融事業を核とした成長戦略ができあがっていきました。

宮田:グループCFOとしてはこの動きをどう思っていましたか?
森:グループCFOとしては、常に全体の最適化を考えていました。
SmartHR本体の株主は、人事労務SaaSである「SmartHR」が主な投資対象であり、「SmartHR」事業や「SmartHR」とシナジーの見込める事業への投資を期待しています。
従って、グループ会社のNstockがリスクプロファイルの全く異なる金融事業を開始し、そこにSmartHR本体の資金を投じていくことは、株主の期待とはかなり異なる方向性であり、実際に、投資家に対するNstock事業の説明コストは上がっていました。
そうこうしているうちに、2024年の年初からSmartHRのシリーズEの資金調達が動き始めました。この資金調達はかねてよりSmartHRが推進してきたマルチプロダクト戦略をさらに加速させるためのものであり、実際に「SmartHR」事業内に投資対象が山ほどありました。
一方、Nstock事業にも引き続き法改正や規制緩和の追い風がたくさんあり、Nstockの描く戦略も時を経るごとにシャープになっていきました。Nstock単体で見ると「今アクセルを踏まずしていつ踏むのか」という状況ではありましたが、SmartHRの立場では事業プロファイルの異なるNstock事業に大きく張るという投資判断は難しく、このままだとNstockの事業可能性を潰しかねないという思いもありました。
宮田:その判断は正しいと思います。

SmartHRは日本全国の中小企業から、数万名規模のエンタープライズ企業にも幅広く使われていますが、Nstockのお客様はもっと狭い範囲のスタートアップ+上場企業です。
SmartHR本体の事業や他のグループ会社、例えばシナジーが強い「スマート相談室」などに投資するほうが妥当だと思います。
Nstockの資金調達は、グループの資金調達能力の最大化
宮田:そこでNstockとしても外部から資金調達しようという話が持ち上がります。
森:当たり前の話ですが、やはりNstock事業に投資をしたいと思う投資家が直接出資を行い、Nstockに付随する事業リスクも引き受けるのが理想と考えました。そこで、Nstockでの資金調達を検討し始めました。
また宮田さんというシリアルアントレプレナーの特性を活かせば、外部から大きな資金を調達できるという肌感もありました。実際に、2024年9月にはNstock単体で30億円の資金調達を発表でき、SmartHRグループ全体での資金調達力の最大化という観点でもNstockでの資金調達は最適な資本政策だと考えます。

宮田:ちなみに、この外部からの資金調達は、Nstock社の採用についてもポジティブに働きました。採用観点でも「独立したスタートアップ」という見せ方は有効です。
面接でも「SmartHRのグループ会社だが今後どうするのか?」とよく聞かれていましたが、資金調達後はそういった質問がなくなり、エンジニア採用も好調になりました。独立したスタートアップで働きたい人へのアプローチとしても有効だったと思います。
独立のトリガーは、Nstockの資金調達
宮田:いよいよ独立の話にいこうと思います。
森:個人的にはNstockでの資金調達の議論をしている時点で、将来的なSmartHRグループからの独立は既定路線だと考えていました。SmartHRに投資している株主と、Nstockに投資している株主の利害を両立させることはやはり難しく、Nstockが連結子会社の状態でお互いの株主価値を最大化することは難しいと容易に判断できました。

宮田:これはぼくも感じていたことです。例えば、SmartHRが黒字化を目指すタイミングで、Nstockが大きく赤字を掘って事業を伸ばす方針の両立は難しい。
独立系スタートアップならすぐに決断できることも、連結子会社であることでNstockはSmartHRの承認が必要だったり、他にも何かしらの縛りが発生してスピードダウンしていた面もありました。
その逆も然りで、Nstockがグループ内にいることで、森さんをはじめとしたSmartHRのキーパーソンたちの時間やマインドシェアをかなり奪っているなと感じることも多かったです。

また、非連結化の議論は、実は1〜2年前にもしたことがありました。しかし、当時のNstockは外部調達を実施していない = Nstockの株に値段がついていない状態だったので、価格の合意形成が難しそうと判断し、ペンディングになりました。
今回の資金調達で分かりやすく株価が付いたことで、価格交渉の合意形成の難易度が大きく下がったことで、スムーズに独立の話が進みました。
森:「もしNstockが大きく成長したら、外部に売却するのはもったいないのでは?」という質問をよく受けます。そのとき、ぼくは土壌と花の話をします。
SmartHR傘下ではそもそもNstockという花を咲かせることが難しく、上記の質問の前提となる状況は成り立たないと考えています。実際に、SmartHRのグループ会社のままだと、SmartHR本体とシナジーが薄くリスクプロファイルも全く異なるNstock事業に対しては限定的な投資にならざるをえない。そうであるならば、SmartHRはNstockの事業を最大限成長させるのに適した土壌ではない。むしろ、枯らしてしまう恐れもありました。
種を枯らしたまま置いておくよりも、Nstockという種がちゃんと花開くために、独立した土壌で成長してもらう方が良いと考えました。
宮田:名言だ。
何%の株式を移動させた?具体的なスキームは?
宮田:今回移動した株式の、具体的なパーセンテージを教えてください。
森:持分法から外すために、約50%の株式を動かしました。
取引前、SmartHRによるNstock株の持ち分は約65%だったのに対し、現在は14.5%にまで下がっています。個社の状況にもよりますが、連結を外す際のルールとして概ね「15%以下」とされていたためこの数字にしました。
Nstockのプレスリリースにも記載がありますが、最終的には下記のような仕上がりになりました。
[最終的な取得金額(概算)]
- 代表取締役 宮田昇始:6億円
- Nstock社員等 約40名:3.2億円
- Nstock株式会社:2億円
- ベンチャーキャピタル 5社(既存株主):6.8億円
- WiL
- Coral Capital
- 千葉道場ファンド
- East Ventures
- ALL STAR SAAS FUND
ちなみに、宮田さんは引き続きSmartHRの創業者で大株主の1人です。SmartHRの重要な関係者という扱いになり、その宮田さんの保有比率が高すぎると、持分法から外れなくなるという問題がありました。

宮田:本当はもっと買いたかったと言いたいところですが、お財布事情も考えると、これが買えるMAXだったと思います。
森:それ以外に特徴的な点は、Nstock社員の皆さんが3.2億円も買っていることですね。
宮田:これは、別で公開予定の宮田のブログで少し詳しく触れたいと思っていますが、本当にすごいですよね。
森:今回のように、スタートアップがスピンアウトするとき、スピンアウトした側の経営株主、内部株主の持ち分が少なくなってしまうという問題があります。
今回は、内部株主にアロケーションを寄せられたのは良かったと思います。外部株主としてはもう少し持ち分が欲しかったという思いもあるかもしれませんが、社員等が株を購入してくれることでコミットメントが上がる効果も期待できるので、納得していただけたのではないでしょうか。
Nstock社員の皆さんから、想定以上の需要があったことで、内部株主と以前からの株主とのバランスも良くなっています。

宮田:本当に予想外の反応でした。既存株主に社員からの購入希望金額を伝えたら、驚いて思わず笑ってしまうほどでした(笑)。
森:スピンアウトに際して、株の内部比率をどうやったら高められるかという相談を自分もよく受けます。今回は良い結果でしたが、これは複数の条件が揃ったからこそです。
宮田さんにはSmartHR株をセカンダリーで売却したキャッシュがあり、Nstock社員の皆さんもスタートアップ2周目の人が多かったり、様々な特殊な事情もあります。針の穴に糸を通すくらいの話と言えるでしょう。
Nstockのケースを鵜呑みにせず、各社にとってあるべき姿を考えた方がいいと思います。
ステークホルダーの反応と、これからの関係性
宮田:記事の冒頭で、宮田の代表退任とNstock設立で「企業価値への影響があるのではないか?」という懸念があったという話がありました。今回はどうでしたか?

森:宮田さんの代表退任から3年経って、SmartHRは引き続き業績も伸び続けていますし、新体制にもすっかり馴染んでいます。SmartHRのステークホルダーからしても「これなら大丈夫だ」と太鼓判をもらっている状態になりました。
2022年の社長交代時は心配する声もありましたが、今回はそれほど心配する声はなかったですね。むしろぼくの予想よりも冷静な反応でした。
それぞれの成長にとって何が一番ベストか、それぞれの利益を最大化するにはどうするのかという観点から、一つ一つ議論を半年前位から話してきました。
今回の事象だけでの判断ではなく、一貫した方針で進めてきたので、自然な流れとして受け止められたのだと思います。そうだよね、という感じでした。

宮田:ありがとうございます。では最後に、今後のお互いへの期待をコメントして締めに向かいましょうか。
森:これからも引き続き関係は継続します。SmartHRとしてもNstock株を14.5%を保有し続けますし、ぼくも引き続き関わっていきます。SmartHRグループで生まれたこの関係を、何かしらの形で維持していくことは大事だと思っています。
宮田:SmartHRはNstockの導入企業でもありますし、事業を開始できた際にはセカンダリーでもぜひサポートさせてもらいたいと思っています。
また、ぼくも一部SmartHRの株を持っています。引き続き応援したい気持ちと、新経営陣に段階的に渡していくプランも考え始めています。
森:そうですね。SmartHRも企業価値を高めるために頑張ります!
あ、そうそう。今回の取引でSmartHRにも約18億円ほどのキャッシュが入ってきます。営業外の収益ですが、この四半期は黒字になりそうです(笑)。
宮田:思わぬ形で貢献できてうれしいです(笑)。すでにNstockへの投資はしっかりリターンが出たと思いますが、さらなるリターンにも期待してください!

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