株式報酬の専任担当、いますか?──日米で広がる「専門チーム格差」
ストックオプションの基礎知識

「グローバル水準のストックオプション(SO)を導入したい」。ここ数年、スタートアップ経営者や事務局の方からそのような相談を受けることが増えました。2022年に策定された「スタートアップ育成5か年計画」の追い風もあり、税制適格SOの権利行使限度額の引き上げ、行使価額のセーフハーバールールの導入、保管委託要件の緩和など、日本の株式報酬制度そのものは着実にアップデートされてきました。
一方で、あまり語られていないのが「その制度を、誰が運用しているのか」という問題です。米国では社内に「Stock Plan Administration」という職種が存在し、専任者や専任チームが日々の権利付与や行使手続き、複雑なベスティング条件の管理などを行うのが一般的です。対して日本では、株式報酬の専任チームを持つ会社はまだ少数派で、多くの場合は人事や法務(ときにはCEOやCFO)が「本業の合間に」制度を回しているのが実情です。
制度はアップデートされているのに、運用体制が全然追いついていない。これは、日々多くのスタートアップ関係者と話す中で、繰り返し感じることです。この記事では、日米の株式報酬の専門人材の実態を比較しながら、その差がどこから生まれているのか、そして日本のスタートアップがいま取れる選択肢について整理してみます。
野瀬 梓紗(Azusa Nose) Nstockドメインエキスパート/ 取締役
コンサルを経て2016年に株式会社メルカリに入社。在籍期間の前半はコーポレート業務全般、後半は株式報酬の設計・運用に従事。日米同時適格SOの設計ほか、合計40回号、延べ2,500人以上に対するSO発行の実務を行う。持株会理事長、RSU・1円SO導入のプロジェクトオーナーも歴任。上場後は株主総会事務局長、SR対応などガバナンス関係の業務も担当。2022年、創業時のNstockに参画。
国内に株式報酬の専任チームがある会社は、まだ稀
株式報酬の設計・運用には、想像以上に幅広い専門知識が求められます。会計、税務、会社法・金商法まわりの法務、労務、資本政策を含む財務、そして評価制度としての人事設計。これらすべてに強いオールラウンダーな人材は、日本の採用市場にはほとんど存在しません。スタートアップが求める株式報酬のすべてをまるっとお任せできる人材の採用自体が非常に難しいと言えます。
この難しさを象徴するのが、私の前職でもあるメルカリ社の事例です。同社で株式報酬の設計から実務までを担うGroup Governanceチームは、もともと「株チーム」と呼ばれるプロジェクトチームから始まりました。その立ち上げ経緯については、以前Nstockジャーナルの記事で以下のように振り返りました。
「設計の複雑化やIPO準備に伴い、経理だけではなく法務・税務・労務・財務といった幅広い知識が必要になるので、既存のメンバーですべてをカバーするのは難しくなってきたのです。なので、仲の良かった周辺チームの人に声をかけ、『1年でいいから』『このプロジェクトだけでいいから』という形でやや強引に手伝ってもらっていました」
結果として、社内の他チームから"助っ人"を募り、なし崩し的に異動してもらう形で臨時チームを組成せざるを得なかった、というのが実態でした。その後プロジェクトチームとしての「株チーム」は、複数の関係チームからメンバーが集まり、Incentive and Equity Planningチームとして正式に組織化されました。国内向けに限らず、米国と英国の子会社の役員・社員向けの株式報酬についても、基本的には同チームが主導して行っていました。
メルカリ社のほかにも、スマートニュース社からも同様の事情を窺い知ることができます。同社でStock Administrationを担っていた佐伯卓哉さん(現在は別チームのマネージャーとしてご活躍中)は、経理・財務及びIRの出身ながらSOについては「入社当初、知識は全くなかった」と語り、「組織の変化のなかで、専門外だったこの領域を担当せざるを得なくなったのが正直なところ」だったと振り返っています。「白紙の画用紙を渡されたような気持ち」で独学しながら制度を回してきたという経緯は、日本の多くのスタートアップに共通する"あるある"ではないでしょうか。
背景には、日本企業が長らく現金中心の報酬体系を前提としてきたことが関係しているかもしれません。株式を報酬として社員に継続的に分配するという発想自体が新しく、それを専門に担う職種が育つ土壌が、そもそも日本の労働市場になかったとも言えます。だからこそ多くの企業、特に大手企業に比べて人手の不足するスタートアップでは、経理や法務、人事の誰かが株式報酬の実務を兼務している、というのが一般的な姿になっています。
米国には、独立した職種としての「Stock Plan Administration」が存在する
一方、株式報酬の先進国とも言える米国に目を向けると状況はまったく異なります。株式報酬の専門家は、独立したキャリアパスとして確立されており、非上場のスタートアップであっても専任のチームを持つ企業が多いのが現状です。
いくつかの事例を見てみたいと思います。
たとえば、SpaceX社では「Sr. Manager, Stock Plan Administration」というポジションが最近まで募集されており、求められる役割として"oversee the day-to-day operations of our equity programs, ensuring accurate and timely processing of equity transactions, including grants, exercises, ESPP purchases, and RSU releases"と記されています。意訳すると、株式報酬制度の様々なスキームに関する手続きが正確かつ迅速に行われるように日々の運用を統括する役割、と定められています。同ポジションは、応募要件として非上場企業での経験を含む8年以上のStock Plan Administrationの経験が求められています。
また、OpenAI社でも「Manager, Global Equity Administration」というポジションが募集されており、グローバルに事業展開を行う同社の株式報酬制度の運用責任者として採用が行われています。
ほかにも、Anthropic社は「Global Senior Equity Program Manager」を募集しており、グローバル市場全体での株式報酬戦略・運用の管理を担う役割が期待され、SpaceX社と同様に8年以上の実務経験が求められています。また、株式報酬の管理ツールであるShareworksの利用経験が望ましい要件として挙げられているのも興味深い点です。ちなみに、このポジションは本稿執筆時点(2026年7月)で募集中ですが、年収レンジは19万〜23万ドルとなっています。
このように、SpaceX社、OpenAI社、Anthropic社といった、いま世界で最も採用競争が激しいであろう企業群が、揃って専任の株式報酬人材を求めているという事実は象徴的です。
なぜここまで日本と米国では状況が異なるのか。さきほど挙げた日本における現金中心の報酬体系以外にもいくつかの要因が考えられます。
まず、米国は人材の流動性が日本に比べて非常に高く、報酬の設計・運用のクオリティがそのまま採用力・リテンションに直結します。とりわけAIやディープテック領域では人材獲得競争が激しく、株式報酬をミスなくかつ魅力的に運用できるかどうかが、人材採用、ひいては事業成長を左右する経営課題そのものになっていると考えられます。これは実際に私がメルカリ社に在籍中に感じたことですが、米国子会社の社員は平均的な金融リテラシーが高く、付与条件や課税関係について踏み込んだ質問を受けることも珍しくありませんでした。「とりあえずもらっておく」ではなく、きちんと内容や価値を理解した上で契約書にサインする、という傾向がありました。曖昧な説明や運用は許容されにくい環境だったと言えます。
こうした土壌の上に、米国では株式報酬業界としての制度的なインフラも整っています。Certified Equity Professional Institute(CEPI)が提供するCEPという実務資格が存在し、試験は会計・制度設計・法務・税務にまたがる3段階で構成されています。業界団体であるNASPP(National Association of Stock Plan Professionals)は、6,000名超の会員を抱える組織として、継続教育やカンファレンスを通じてこの職種を専門職として下支えしている環境があります。
さきほど例に挙げたSpaceX社やAnthropic社の求人が「CEP資格の保有、または入社後2年以内の取得」を必須または歓迎要件として明記しているのも、この資格が実務能力の客観的な証明として機能している証拠と言えます。残念ながら、日本にはまだCEPに相当する資格制度や業界団体は存在しません。
国内では「使いこなすスタートアップ」と「止まっているスタートアップ」の差が急速に広がっている
では日本のスタートアップ全体が、専門チームの不在によって一様に遅れているのかというと、実はそうとも言い切れません。むしろ最近感じるのは、「全体が底上げされている」のではなく、株式報酬を戦略的に使いこなすスタートアップと、旧来の設計のまま止まっているスタートアップとで、差が急速に広がってきているという感覚です。
この差を生んでいる要因はいくつかありそうです。ひとつは税制改正への対応です。ここ数年の税制改正で、税制適格SOの権利行使限度額の引き上げ、行使価額のセーフハーバールールの導入、保管委託要件の緩和といったいくつかの大きなアップデートがありました。それらの改正を踏まえて設計内容や契約書をアップデートできているかどうかで、社員や採用候補者に提示できるSOの量や質は大きく変わってきます。
もうひとつは、AIの台頭やグローバルに進出するスタートアップの増加による人材獲得競争の激化です。グローバル基準の株式報酬を提示する企業が国内でも増えれば増えるほど、それに引っ張られる形で国内全体の競争水準も上がっていきます。ここでアップデートを止めているスタートアップは、相対的に見劣りする条件を提示し続けることになりかねません。
さらに、上場維持基準の引き上げによって上場までの期間が長期化し、M&Aを選択する企業も増えるなど、市場環境そのものが変化しています。セカンダリー取引への注目が高まっていることも含め、株式報酬を「いつ、どうやって現金化できるのか」という出口設計まで考慮した制度設計が求められる場面が増えています。こうした変化に対応できているかどうかが、スタートアップ間の差をさらに広げている構図です。
事例として取り上げたスマートニュース社の求人票を見ると、同社は「Manager, Equity & Corporate Affairs」という株式報酬・コーポレート領域の専任ポジションを日本国内で募集しています。かつては記事に登場した佐伯さんのように未経験者が手探りで担ってきた業務が、いまや求人票内で具体的に書き出される業務になったという事実は、まさに「使いこなす企業」側への進化を象徴していると言えるかもしれません。
専門人材が少ない日本で、スタートアップが取れる選択肢は
残念ながら、株式報酬の専門家が国内の人材市場で不足しているという事実は、当面変わりません。その中でスタートアップが取れる選択肢は、大きく2つありそうです。
ひとつは、メルカリ社のように、経理・税務・労務・財務といった関係チームから人を集めて横串のプロジェクトチームを組成する方法です。これは相応の体力と、経営の強い意思がなければ実現できません。何より、社内に「声をかけられる人材」がいることが前提になります。
もうひとつは、設計・運用のそれぞれの場面で外部の専門家と上手く連携する方法です。ただしこちらを選ぶ場合も、法務は弁護士、税務は税理士、会計は公認会計士というように、それぞれ別の専門家と個別に連携する必要があり、情報が分散しがちで、社内で窓口となる担当者の負荷は決して小さくありません。誰か一人が全体像を把握していないと、「税務上は問題ないが、労務の観点では抜けがある」といった論点の見落としも起こりやすくなります。
どちらの選択肢を取るにせよ、共通して言えるのは「経営陣がこの領域に本気で投資する意思を持てるかどうか」が出発点になるということです。株式報酬は一度設計や実務でミスを起こすと後から修正するのが難しく、かつ社員の資産・税金に直結するものなので、片手間の運用が積み重なるほどリスクは大きくなります。
いまNstockでは、新しい「3つ目の選択肢」を提供したいと考えています。具体的には、株式報酬の専門人材の少なさという問題に向き合い、「分散した専門知識をワンストップでつなぐ」ことを目指しています。株式報酬プロダクトとしての制度の運用基盤に加え、設計や法務・税務・会計にまたがる知見を一元的に提供することで、専任チームを持てないスタートアップでも、グローバル水準の株式報酬を無理なく運用できる状態を目指しています。私が所属するドメインエキスパートチームでも、お客さまとの日々の商談や壁打ちなどを通じて、この「専門知識へのアクセス」を少しでも軽くする役割を担っていきます。
参照記事
- 「前例がないことだらけ」メルカリの通称"株チーム"はどんな役割を担っている?内容を探ってみた(Nstockジャーナル)
- 「分断に、橋をかける」── 部署を越えた貢献が、組織を強くする(SmartNews Igniterの働き方|Inside SmartNews)
- SpaceX「Sr. Manager, Stock Plan Administration」求人(Greenhouse/2026年7月時点で募集終了)
- OpenAI「Manager, Global Equity Administration」求人(LinkedIn/募集終了)
- Anthropic「Global Senior Equity Program Manager」求人(Greenhouse)
- SmartNews「Manager, Equity & Corporate Affairs」求人(LinkedIn)
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