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100兆円市場を勝ち抜くためのストックオプション哲学「水たまりではなく、大海を泳げ」──enechain CFO 藪内悠貴さん

株式会社enechain 取締役CFO / 藪内悠貴

3,000億円でPaidyがPayPalにM&AでExitした──2021年のニュースですが、その規模感の大きさから記憶に残っている人も多いのではないでしょうか?このとき、Paidyの取締役CFOを務めていたのが藪内悠貴さんです。

「3,000億円のディールでしたが、当時はExit手段をめぐって社内で従業員インセンティブを論点とした議論が起こることはありませんでした」と藪内さん。その理由は、Paidyのストックオプション(以下、SO)を含む株式報酬設計がIPOとM&Aのどちらにも対応できるようにしていたからでした。

しかし、当時の日本のスタートアップを広く見渡すと、SOの慣習には強い違和感を持っていたと藪内さんは振り返ります。藪内さんの違和感と、現職であるenechainの取締役CFOとして自らSO試算表を考案し、提供するほどの「やりきり力」の原点を聞きました。

藪内 悠貴(やぶうち・ゆうき)enechain 取締役CFO
JPモルガン証券株式会社で多様な業界におけるM&Aや資金調達のアドバイザリーに従事後、カーライル・グループ (バイアウト)にて新規投資先候補の投資評価・実行、投資先企業の企業価値向上施策から上場含むエグジットまで関与。その後、株式会社Paidyに2018年に入社後、取締役CFOとしてデット・エクイティ含む数百億円規模のバランスシートの構築などを主導し、2021年に国内スタートアップ最大規模となる3,000億円でのPayPalグループへの参画を実現。2022年8月にenechainにCFOとして入社。 東京大学薬学部卒、東京大学工学修士修了 (技術経営戦略学専攻)。

「同じ船に乗る人が報われる仕組みを作る」はカーライル時代に生まれた考えだった

──藪内さんは現職であるenechainに至るまで、JPモルガン証券やカーライル・グループ、Paidyで勤務されていました。SOに対する考えは、どこで形づくられたものだったのでしょうか?

藪内 悠貴(以下、藪内):カーライル時代に、その投資先企業のインセンティブ設計をしていたころですね。

カーライルはPEファンドとして投資先企業の株式の過半数を取得し、企業価値を高めたうえでExitを目指すというビジネスモデルです。そのためには、株主であるPEファンドと事業を担う投資先企業の経営陣・従業員とアラインメントを取る必要があります。株主という立場で、企業価値向上に貢献した方々に報いるための設計を模索した日々でしたね。

──ファンドにいたとはいえ、スタートアップのCFO的な役割はすでに経験されていたんですね。

藪内:そうですね。

カーライルは投資を境に「第2創業」というスタンスで投資先企業のみなさまと接します。そのため、私もスタートアップの創業期のように「同じ船に乗る」という考えでインセンティブ設計をしていました。同じ創業メンバーとしてやっていく感覚で経営陣や従業員と向き合う。極めてシンプルな考えです。このときに培った「同じ船に乗ってもらった人がちゃんと報われる仕組みを作る」という感覚が、SO設計のすべての出発点になっています。

なので、カーライルからPaidyへ転職した2018年当時、日本のスタートアップにおけるSOの慣習に大きなギャップがありましたね。M&A Exitの場合は行使できないとか、退職するとSOがすべてなくなってしまうとか……。企業によってベストな選択は異なりますので一概には言えませんが、IPOかM&Aかで報われ方が変わってしまうのは、私にとっては不自然な考え方でした。

「当時はレアだった」というPaidyのストックオプション設計ポイントと考え方

──その後、Paidyは2021年にPayPalによる3,000億円のM&Aでエグジットしました。SOを持つ従業員の方々などの反応が気になるのですが、ネガティブな声などはなかったのでしょうか?

藪内:そもそも、Paidyは日本のスタートアップでありながら、投資契約や株主間契約を含めて米国型を意識して設計されていました。そのため、SOに関してもIPOとM&Aの両方でリワードされるようになっていたのです。

SOの権利行使価格にも工夫がありました。スタートアップの資金調達では投資家に「優先株」を発行しますが、SOで従業員が取得するのは「普通株」です。優先株の設計次第で、普通株は優先株より安価になるので、SOの行使価格も優先株の株価よりも低くなる。SOの利益は「Exitしたときの株価 − 行使価格」で決まるので、行使価格が低いほど差額(=利益)は大きくなります。Paidyではこうした設計が自然に行われていました。

それに加えて、もしM&Aの場合に株主間での分配が変わるなどの優先株設計になっていたら、M&A or IPOの議論もより複雑になっていたかもしれませんね。このような工夫や考え方のおかげで、Paidyは自社のミッション達成に対して「何がベストな選択肢なのか」をフラットに判断できたと思っています。

──2021年当時ということを考えると、けっこうレアな設計だったのではないかと感じます。

藪内:レアでしたね。

今振り返っても、PaidyのSO設計に関して「あのとき、こうすればよかった」と思うことは正直ありません。IPO or M&Aという選択肢を会社にとって何がベストなのかという観点でフラットに選べた。それ自体が、設計の正しさの証明だと思っています。

──現在では、当時のPaidyのSO設計のような考え方が広がってきている実感はありますか?

藪内:外部資本を受けるすべての経営者が当たり前にM&AをExitの選択肢として考えなければならない環境になっていると思っています。先日参加したICC(Industry Co-Creationサミット、このとき藪内さんが参加したのはICC FUKUOKA 2026)でも、M&Aをテーマにしたセッションがたくさんありました。それくらい、M&Aへの関心も高まっているように感じます。

ただ、創業時の優先株の設計が当時の主流である「IPOを前提としたもの」だと、経営者としてM&Aを選びたくても選びにくくなるリスクを、多くのスタートアップが抱えたままです。このあたりは後戻りが難しいところなので、なんとも言えないのですが……。

──起業家自身がそれに気づけるかどうかという問題もありそうです。

藪内:難しいことかもしれませんが、創業者自身が知見を高めることが一番の打開策ですね。ビジネスに集中したい気持ちはわかりますが、資本政策という「後戻りできず、会社の方向性を大きく左右する設計」への感度はもっと高めるべきだと思います。

enechain独自のパフォーマンス連動型のストックオプション設計へ刷新。社内の反応は?

──藪内さんがenechainへ入社された当時は信託型SOが導入されていました。その後、SO設計を刷新したと聞いています。大きく変えたポイントはどこだったのでしょうか?

藪内:信託型SOは、入社時の期待値だけでSOの配分を決めるのではなく、入社後のパフォーマンスに応じて調整されるところにメリットがありました。ですが、次の点を改善したいと思っていました。

  • M&A時に機能しなくなること
  • 退職者に対するリワードが限定的となること

そこでenechainでは、「M&A時も機能すること」「退職時も持ち出しOKとすること」、そして信託型SOの計算ロジックのみを残した「パフォーマンスに応じた配分調整ができること」を盛り込み、信託SOに対する国税のネガティブな判断が明確になった2023年にSO設計を刷新しました。

──「パフォーマンスに応じて配分調整ができる」というのは、具体的にはどうやっているんですか?

藪内:信託型SOは廃止しましたが、パフォーマンス連動の計算ロジックを再現しました。具体的には、信託型SOのポイントを新規に発行するSOの数に換算し、従業員全員の人事評価とグレードを踏まえて付与しています。このポイントを社内では「エネコイン」と呼んでいるんです。

──えっ、毎回計算しているんですか!?大変すぎませんか!?

藪内:はい、大変です。人事評価のたびに「またあの計算をしなくちゃ」と少しゲンナリしてしまうほどです(笑)。

enechain取締役CFOの藪内悠貴さん

でも、私としては説明責任を十分に果たせるくらいにはしっかりやりたいと思っているんですよね。従業員にも計算結果を都度確認してもらいながら、不整合がないようにコミュニケーションしています。

──SO設計を刷新したとき、従業員の方々の反応はどうでしたか?

藪内:世の中で信託型SOに対する議論が表面化したときから「今、こういう話し合いが行われています」「enechainでは従業員に不利益がないことを第一に対応していきます」と社内へ発信していました。当時のenechainはアーリーステージのスタートアップだったこともあり、SOに重きをおいている人たちも多いと思うので、彼らを不安にさせないためのコミュニケーションを意識しました。

その後、国税の見解を受けてenechainでは信託型SOから有償SOへ刷新しました。有償SOに変えたことでアーリーフェーズとはいえ一定の初期投資を伴うため、ネガティブな反応もあると覚悟していました。

ですが、従業員説明会後はネガティブな反応はなく、むしろグローバルスタンダードな設計になっていることの優位性を認識している従業員を中心にみな高く評価してくれました。SOにくわしい社内のエンジニアが「どんな制度になるかと思っていたけど、満額回答でびっくりした」とコメントしてくれていたほどでした。ちなみに、現在では有償SOに加えて税制適格SOも付与しています。

ストックオプションが「人生を変える武器」になるかどうかは、「海の大きさ」で決まる

──SO設計を作り込んでも「導入しただけ」で終わってしまうケースは少なくありません。enechainさんでは、何か工夫されていたりするんでしょうか?

藪内:採用候補者のなかにはSOに馴染みがない人もいたりするので、言葉を尽くしても「へ〜」で終わってしまうことはよくありますよね(苦笑)。そこでenechainでは、ポジションにもよりますがオファー面接時に自前のSO試算表を候補者の方に出すようにしました。

「SOを◯個もらえます」と言われても、どれくらいの価値があるのかは正直わかりません。そのため、試算表では今後のSOの期待値を時価総額のシミュレーションとともに計算し「この個数だと、税引後の手取りはこれくらい」「同額を給与で貰う場合はこれくらいの年収に相当する」と具体的な数値で示しています。

──かなり踏み込んだ内容を共有しているんですね。

藪内:一般的に、スタートアップにとってSOは採用の武器なので、採用候補者に対しては具体的に、なおかつリアルに伝えることが大事だと思っています。具体的な数字だけでなくアップサイドの余地を市場の大きさや事業ポジション、蓋然性をあわせて伝えると、SOに馴染みがなくても受け止められ方は大きく変わります。

リアルさを伝えるうえで、最も重視しているのが“海の大きさ”を伝えることです。

──「海の大きさ」とは、市場の大きさのことでしょうか?

藪内:そうです。SOは企業の時価総額を100億円規模から1,000億、5,000億、その先へと大きくしていかないと、人生を変えるレベルのリターンは得られません。そういう意味では、SOの本当の価値を理解するには「この事業はどれくらい大きくなるのか」を腹落ちすることが大事。その企業が泳ごうとしている場所が水たまりなのか、湖なのか、それとも大海なのかを考える必要があるのです。

enechainは、欧米の先行例などを踏まえると100兆円の市場が作れるビジネスだと思っています。採用面談時は「泳ぐ市場の大きさ」に加えて「そこで勝つ蓋然性はHowも含めて、どうか」「いつ、それを実現できるのか」も含めた3点をセットで、夢を語るのではなく勝ち筋を語る。それが、候補者に本気で船に乗ってもらうための誠意だと思っています。

enechainのみんなを「ストックオプションの恩恵だけを受け取るテイカー」にさせたくない

──自前のSO試算表、そして採用面談時の説明の工夫……ここまで踏み込んでSOに関する説明をやり切るのは簡単ではありません。藪内さんがこれらをやり切ろうと思える原動力はどこにあるのでしょうか?

藪内私は、enechainのみんなを「SOの恩恵だけを受け取るテイカー」にさせたくないんです。SOは、同じ船に乗った全員が一緒に船を大きくしていくためのツールであるべきで、ただもらうだけのものじゃない。だからこそ、手間をかけてでも「この船がどこへ向かっているか」「どれくらい大きな海を泳いでいるか」を、全員が理解している状態を作りたいんです。

しかしながら、企業価値を上げるために同じ船に乗ってもらったものの、アクションにつながらなければ意味がありません。企業価値とは、シンプルに言えばフリーキャッシュフロー(事業で稼いだお金から投資などを差し引いた、自由に使えるキャッシュ)をいかに最大化できるかによって決まります。

だから社内に対しては定期的に企業価値の源泉、つまり「どうやったら売上が上がるのか、どうやったらコストが下がるのか」などを話すようにしていますが、頻繁に言っているために、私は社内で「固定費にうるさいCFO」と言われていまして(笑)。

──そんなに!?

藪内:もちろん、意地悪で言っているのではなく、enechainのビジネスは固定費が大部分なので「コスト意識を持ちつつ、生産性を上げていくことが大事」という認知を広げたいという意図があります。しかし、そういったことを私が社内Slackで発言すると「固定費」というSlack絵文字が付きます(笑)。

──みなさん、わかっててやっていますね(笑)。それくらい、藪内さんのメッセージが社内に届いているのだと感じます!

藪内:SOに関しては、非上場株で株価の動きが資金調達のタイミング以外は見えないため、定期的に価値や意義を伝えていかなければならないと思っています。これまでは資金調達のタイミングとあわせて「あなたの今持っている株は、今の優先株のバリュエーションだとこれくらいですよ」と個別に共有していました。

enechainのみんなに同じ解像度で理解してもらうのは、正直とても難しい。でも「自分たちは今、100兆円の海で泳いでいる」という感覚だけは持ち続けてほしい。その感覚があれば、SOは単なる報酬制度を超えて、同じ船に乗った仲間が同じ方向を向くための共通言語になると思っています。試算表の手計算も、オファー面談での説明も、資金調達のたびのメッセージも——すべてはそのためです。やりきることに、終わりはありません。

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